20世紀は不動産が金融化した。21世紀は、モノが金融化する。

20世紀は不動産が金融化した。21世紀は、モノが金融化する。

なぜ今、感情を起点に現物を保有するのか

ここ数年、自分の資産をどこに置いておけばいいのか、以前よりわからなくなった――そう感じている人は、少なくないと思います。お金そのものはある。預金も、証券も、数字としては手元にある。それなのに、その置き場所が、どこか落ち着かない。銀行や市場やシステムに対する、言葉にしにくい不安。口には出さないけれど、たぶん多くの人が感じ始めている感覚です。

僕も、同じことを考えてきました。そして行き着いたのは、いちばん古い答えでした。手元に、形のあるものを持っておく、ということです。

その話を始める前に、一本の時計のことを書かせてください。

「高校生のとき、祖父からロレックスのオイスターパーペチュアルデイトをもらった。特別高価なものではなかったけれど、ずっと手放さなかった。売ろうと思ったことも、正直ある。でも手放せなかった。好きだったから。」

この「売れなかった」という感覚から、今日の話を始めたいと思います。

僕はこの時計を、値段で持っていたわけではありません。むしろ値段の話をされると、少し居心地が悪くなります。それでも長く手元に置いているうちに、結果として、これは資産と呼べるものになりました。順番が逆なのです。資産だから持ったのではなく、好きだから持ち続けたら、資産になっていた。

このプロジェクトで僕が伝えたいのは、まさにこの順番の話です。そしてこの順番が、今、時代の構造そのものと噛み合い始めている。そう感じています。

1. 20世紀に起きたこと ― 不動産はなぜ「資産」になったのか

土地は、もともと住む場所であり、耕す場所でした。動かせない、貸し借りもしづらい、現金にも換えにくい。そういう「ただそこにあるもの」だったはずです。

それが、値動きする金融資産へと変わっていきました。理由は、土地そのものが変わったからではありません。土地を取り巻く仕組みのほうが変わったのです。

ひとつは信用です。土地を担保にお金を借りられるようになった。動かせない土地が、借入の裏付けになった瞬間、それは「使える資産」に変わります。もうひとつは銀行と貨幣の発達です。評価し、融資し、流動化する仕組みが整い、土地は売買され、証券化され、運用される対象になっていきました。

つまり20世紀は、動かせなかったものを「担保にでき、可視化でき、運用できるもの」へと作り変えた世紀でした。価値があったから金融化したのではなく、金融化する仕組みができたから、価値が動き出した。この順番を、まず押さえておきたいと思います。

2. 21世紀に起きていること ― 次に金融化するのは「モノ」

僕がいま面白いと感じているのは、これとよく似たことが、もう一度起きようとしている点です。今度の対象は土地ではなく、モノです。

時計、アート、ヴィンテージ、コレクション。これまでこうしたものは、好きな人が個人で持ち、コレクター同士の世界の中だけで価値を確かめ合うものでした。担保にもしづらいし、ましてや運用するなど、現実的ではなかった。20世紀以前の土地と、よく似た立ち位置です。

ここに、新しい仕組みが入ってきました。ブロックチェーンとRWA(実物資産)トークンです。現物を可視化し、所有を記録し、担保化や運用の対象にする。20世紀に信用と銀行が土地に対してやったことを、今度はブロックチェーンがモノに対してやろうとしている。そう捉えると、これは突飛な新技術の話ではなく、歴史の反復として読めます。

僕はZoomARTという、文化資産をRWAトークン(ZMAT)として扱うプロジェクトの日本パートナーをしています。ここで起きていることは、僕の実感としても、まさにこの「モノの金融化」の入口です。

3. これがコレクターにとって何を意味するか ― 需給の変化

ここが、いちばん大事なところです。

モノが金融化すると、何が変わるか。これまでそのモノを欲しがっていたのは、基本的にコレクターでした。好きだから、思い出があるから、忘れられないから手に入れたい。感情を起点にした需要です。

ところが金融化が進むと、そこに別の買い手が入ってきます。感情を起点にしない資本です。価値が記録され、担保になり、運用できるとなれば、好き嫌いとは関係なく、資産として取りに来る資金が現れます。土地で起きたことと同じです。

これは、需給の構造そのものが変わるということです。コレクター同士で完結していた市場に、外側の資本が流れ込む。そのとき何が起きるか。自分のノスタルジーに合うものを、まだ手の届く価格で保有できる時間は、構造的に短くなっていきます。

しかも、この変化は、短期的には元に戻りにくい性質があります。外側の資本が個人間売買での成立価格に新しい基準をつくると、その水準はなかなか元には戻りません。コレクター同士でついていた相場が、資本の相場に上書きされていく。土地のことを思い出してください。住む場所だった土地に資本が入り、価格形成の仕組みそのものが変わりました。一度この市場構造が変わると、コレクターだけで価格が決まっていた頃の世界へ戻ることは、簡単ではありません。同じことが、いま静かにモノで始まりつつあります。これは煽りではなく、需要側のプレイヤーが増えれば希少なものの需給が締まる、という単純な話です。

だからといって「急いで買え」とは言いません。それはこのプロジェクトの思想ではない。けれど、見ないでいるうちに、気づいたら手の届かない場所に行っていた――そういうものを、僕はもう何度も見てきました。だからこそ、自分が好きなものの需給が、これからどう動くのかを、今のうちから見ておく。買うか買わないかより先に、その視点を持っているかどうかの差は、思っているより大きいと感じています。

ここまでが、僕がこのプロジェクトの土台に置いている世界観です。ここから先は、その構造の中でコレクターがどう振る舞えるのか――ノスタルジー投資という答えと、売らずに運用するCollect to Earnの仕組み、そしてAI時代に現物が持つ意味について、僕自身のポートフォリオの考え方も含めて書いていきます。

4. ノスタルジー投資という答え

感情を起点にしない資本が入ってくる市場で、コレクターはどう振る舞えばいいのか。

短期の売買で勝とうとすれば、資本にはまず勝てません。資金量も情報の速さも、向こうが上です。値動きを追いかける土俵では、僕たちは分が悪い。

では、何で勝てるのか。僕は、長く保有できることだと思っています。そして長く保有するために必要なのは、分析力でも資金力でもなく、感情です。好きだから手放さない。思い出があるから売れない。一見すると非合理に見えるこの執着が、実は最も強い保有戦略になる。

資本は、価値が下がれば手放します。上がれば利益を確定します。動く理由が値段しかないからです。一方で、感情を起点に持っている人は、価格が下がっても手放さない。だから時間をかけられる。そして価値は、たいてい時間の側にあります。

僕が祖父の時計を手放さなかったのは、戦略だったからではありません。ただ好きだったからです。でも振り返ると、それがいちばん強い保有の仕方でした。感情こそが、長期保有を可能にする唯一の燃料なのだと思います。これが、ノスタルジー投資という言葉で僕が言いたいことの核心です。

5. Collect to Earn ― 売らずに運用する

ただ、ここでひとつ矛盾が生まれます。長く持ちたい。手放したくない。けれど、ただ眠らせておくのも、もったいない。好きで持っているものが、ずっと金庫の奥で動かないままでいいのか、という問いです。

この矛盾を解こうとしているのが、Collect to Earnという考え方です。売らずに、保有したまま、担保化して運用し、インカムを得る。20世紀に土地を持つ人が、その土地を担保に資金を動かし、貸し出し、運用したのと、構造はよく似ています。土地でできたことが、いまモノでもできるようになりつつある。

ZMATは、その仕組みのひとつです。コレクションを担保にしたRWAトークンとして、売らずに運用する道をつくる。僕がCollection Bankでやろうとしているのは、コレクターのための保有・可視化・運用・継承の仕組みづくりです。好きなものを手放さずに、それを次の世代へ渡しながら、眠らせない。

念のため書いておくと、これは「儲かるから乗れ」という話ではありません。値上がりを約束するものでも、推奨でもない。ただ、売らずに持ち続けたいという感情と、資産として活かしたいという現実の、両方を成り立たせる選択肢が出てきた。その事実を知っておくことには価値がある、と考えています。

6. 落ち着いて見るべきリスク ― なぜ、今あらためて現物なのか

ここで、現物に話を戻します。脅すつもりはありません。淡々と構造の話をします。

デジタル資産や金融資産は、便利である一方で、構造的な脆弱性を抱えています。資産そのものではなく、それを支える仕組みのほうに、です。誰が保管しているのか(カストディ)、取引の相手は健全か(カウンターパーティ)、そして全体がどれだけシステムに依存しているか。口座も、証券も、暗号資産も、最終的にはどこかのサーバーと、誰かの運営に依存しています。

そして近年、この脆弱性を人為的に増幅させる要因が強まっています。ひとつはサイバー攻撃やシステム障害ですが、僕がより重く見ているのは、AIの発達による悪意のリスクです。

AIは、攻撃の精度と規模を大きく引き上げる要因になっています。本人そっくりの声や顔で認証を突破しようとする、文面も完璧な詐欺が一人ひとりに最適化されて届く、システムの穴を自動で探り当てる。しかもこれは、これから起こるかもしれない話ではありません。もう起きていることです。攻撃にかかるコストは下がり続け、その精度は上がり続けている。一方で、守る側が追いつくには時間がかかります。この差は、当分のあいだ開いたままだと見ておくべきだと思います。

影響を受けやすいのは、データやデジタルシステムへの依存度が高い資産です。記録を書き換え、なりすまし、システムを止める。それだけで、価値そのものに手をかけられてしまう。やっかいなのは、これが「自分は気をつけているから大丈夫」で済む話ではない点です。僕たちが資産を預けている銀行や取引所、その先のシステムのどこか一点が破られれば、どれだけ自分が注意していても影響はこちらに及びます。安全かどうかを、自分の側だけで決めきれない。ここが、僕がいちばん落ち着かないと感じているところです。

その対照として、手元にある現物は、性質が違います。所有が誰かのサーバーの稼働に依存していない。声をまねても、文面を偽っても、僕の手元にある一本の時計や一枚の絵を、遠隔で消すことはできません。現物の強みは、利回りの高さではなく、依存先の少なさにあります。

では、ブロックチェーンやRWAは矛盾しないのか。ここは正直に書きます。RWAが意味を持つのは、根っこに本物の現物があるからです。純粋にデータだけで成り立つ資産は、データが攻撃されれば足元から崩れます。けれどRWAは、デジタルの層が揺れても、その下に実物が存在している。もちろん、その価値を守るには、適切な保管や、法的な権利の管理が前提になります。RWAも、保管者・契約・管理者への依存からは自由ではありません。それでも、価値の源泉が実物の側にある点は、純粋なデジタル資産とは決定的に異なる特徴です。デジタルの利便性と、現物の頑健さを橋渡しする――そこにこの仕組みの意味があると、僕は理解しています。だからこそ、トークンの話をしながら、同時に「現物を持つこと」を手放さずに語りたいのです。

7. まとめ ― 何を買うかではなく、何を観察するか

長くなりました。最後に、いちばん伝えたいことを書きます。

このプロジェクトは、「これを買え」とは言いません。言いたいのは、自分が好きだったものの周りで、いま何が起きているのかを観察してほしい、ということです。

20世紀に不動産が金融化したように、21世紀はモノが金融資産として扱われる範囲が広がっていく。感情を起点にしない資本が、僕たちが好きだったものを取りに来る時代に入りつつある。その流れの中で、自分のノスタルジーに合うものを、落ち着いて見続けられるかどうか。急いで買うことより、ずっと大事なことだと思っています。

そして結局、僕が祖父の時計を手放せなかったのは、値段ではありませんでした。記憶があったからです。その「手放せなさ」こそが、これからの時代に、いちばん強い資産の持ち方になる。僕はそう信じています。

今日から観察すること: 自分が昔から好きだったジャンルに、トークン化やRWAの動きが入り始めていないか。コレクター以外の資金が、個人間売買での成立価格に現れ始めていないか。そして何より――自分が「売値がついても手放したくない」と思えるものが、いま手元に何点あるか。

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