1. 今日の対象
柳宗理(やなぎ そうり、1915–2011)のバタフライスツール。1954年頃に開発が始まり、1956年の第一回柳工業デザイン研究会展で発表され、天童木工が製造を担った一脚です。
ジャンヌレ、プルーヴェ、ペリアンと続いたこのシリーズで、今日初めて日本人デザイナーを扱います。バタフライスツールは「国産ヴィンテージの入口」として、このシリーズに自然に続く一脚です。
そして今日語る前に、一つ触れておきたいことがあります。柳宗理はシャルロット・ペリアンのアシスタントとして、1年以上にわたって日本の伝統工芸の現場を共に巡りました。先週まで扱っていたペリアンと、今週の柳宗理は、思想的にも人的にも繋がっています。
2. なぜ今これを見るのか
バタフライスツールはMoMAのコレクションに収蔵されており、天童木工等の資料ではルーブル美術館を含む複数の世界の美術館への収蔵も紹介されています。2016年にはグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞。現在も天童木工が現行品として製造・販売を続けています。
それだけであれば「有名なデザインの椅子」です。しかしこの椅子には、国産ヴィンテージとして観察する価値が別にあります。
開発の起点は1954年頃ですが、発表は1956年。その後70年近くにわたって継続生産されてきた。つまり市場には複数の年代の個体が存在し、素材(ローズウッドかメープルか)と年代によって状態と評価が異なります。海外のコレクターも注目している国産デザインでありながら、国内P2P市場ではまだ「特別高価なもの」とは認識されていないケースも多い。ここに観察の余地があります。
3. 何が価値を作っているのか
出自——民藝の家に生まれ、前衛芸術に向かった
1915年、東京原宿生まれ。父は民藝運動の創始者・柳宗悦です。「用の美」——使い勝手の良い道具は自ずと美しい——という思想を提唱した人物の長男として生まれながら、若い柳宗理は父の考えに反発し、前衛芸術の世界に向かいます。
東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学した柳宗理は、バウハウスに在籍していた水谷武彦の講義でル・コルビュジエを知り、デザインへの関心を深めていきます。父の手仕事の世界ではなく、工業と機械の時代のデザインへ——という方向性が、ここで定まっていきます。
ペリアンとの出会い——日本の工芸を外から見た
1940〜41年、シャルロット・ペリアンが日本に滞在した際(輸出工芸指導顧問として招聘)、柳宗理はそのアシスタントを務めます。ペリアンとともに日本各地の伝統工芸の現場を巡り、職人の仕事を間近で見る機会を得ました。
この経験が重要です。「外から日本を見たペリアン」の目を通して、柳宗理は自分たちの工芸が持つ価値を再発見していきます。父・宗悦の民藝思想に反発していた柳宗理が、ペリアンと巡る中でその意味を体験的に理解し始めた——とも言えます。後年「自分こそが父の最大の理解者だ」と語るようになった柳宗理の転換点の一つが、このペリアンとの旅でした。
イームズの成形合板技術との出会い——可能性の発見
バタフライスツール誕生の背景には、チャールズ&レイ・イームズらが展開した成形合板技術への関心がありました。柳宗理は、成形合板が持つ軽さ・強度・曲面表現の可能性に着目し、そこから独自の形を探っていきます。紙や薄い板を切る、折る、曲げるという手の中の実験から、「これは椅子になるのではないか」という着想が生まれました。
天童木工と3年間の技術開発
着想はあっても、実現には技術が必要でした。1954年、柳宗理は仙台の産業工芸試験所東北支所で、当時成形合板を研究していた技術者・乾三郎と出会います。乾の指導のもと、日本で初めて成形合板を実用化した山形県の家具メーカー・天童木工が製作を担当。3年の歳月をかけて、1956年にバタフライスツールは完成しました。
この「デザイナーと職人と製造技術者」の三者による3年間の協働は、プルーヴェが「素材から形を導く」と言ったことと、方法は違えど同じ姿勢を持っています。形は先にあるのではなく、素材と技術との対話から生まれる。
「鳥居」と「蝶」——日本性と普遍性の交差点
バタフライスツールが国際的な評価を受けた理由の一つは、その形が「日本的」でありながら「普遍的」であることです。蝶が羽を広げた姿という名称の由来に加え、神社の鳥居を想起させるという見方もあります。日本の伝統的な形式への参照が、成形合板という現代技術によって実現されている。この交差点に、このスツールの固有の物語があります。
父・宗悦が「用の美」を民藝から見出したとすれば、柳宗理は「用の美」を工業デザインから実現しようとした。バタフライスツールは、その試みの最も凝縮された一脚です。
4. 今の相場感
天童木工・現行品
現行の天童木工製バタフライスツールはローズウッドとメープルの2仕様で、国内公式価格は税込¥82,500です。海外ではMoMA Design Storeでローズウッド仕様が$1,600で表示されていますが、同店掲載品はOriginがItalyとされており、国内の天童木工製品とは製造・流通条件が異なる点に注意が必要です。
国内P2P市場での個人間売買
メルカリ・ヤフオクでは、天童木工製の中古品が3万円台後半〜6万円台で見られる一方、状態・素材・年代・来歴によっては10万円を超える例もあります。ヤフオクの過去落札データでは平均価格が7万円台に達する時期もあり、リプロダクトやジャンク品を除くと単純に安価な水準とは言い切れません。
リプロダクト品
「柳宗理スタイル」の無ライセンスリプロダクトが数千円〜1万円台で多数流通しています。天童木工の正規品とは素材・精度・接合部の仕上げが大きく異なります。
国際市場での評価
1stDibsでは、天童木工製のバタフライスツールが単品で$2,000台〜$4,000台で出品されている例が確認できます(出品価格ベース)。国内P2P市場より高く評価されているケースがあります。
5. 何を観察するべきか
天童木工のロゴ・ラベルを確認する
フレーム裏側または接合部付近の天童木工ロゴ、ラベル、エンボス、保証書・購入記録を確認してください。ただし、天童木工のロゴ制定は1960年であり、それ以前の初期個体にはラベルの仕様が異なるものもあります。刻印やラベルが確認できない場合は、即リプロダクトと断定せず、素材・寸法・金具・仕上げを総合的に見た上で、専門家への確認を推奨します。
素材と年代の組み合わせを読む
現行品はメープルとローズウッドの2種ですが、ヴィンテージ個体にはより濃く深みのあるローズウッドが使われていることが多いです。年代が古いほど木の乾燥が進んでいるため、合板の継ぎ目や反りの有無を確認してください。
接合部の真鍮ステーを見る
天童木工の正規品は、1本の真鍮ステーと2組のボルトナットで2枚の成形合板を固定する構造です。真鍮ステーの変形・腐食・後年交換の有無、ボルトのガタつきがないかを確認することが重要です。
「現行品」か「ヴィンテージ」かを確認する
P2P市場では、現行品の中古と1970〜80年代製の個体が混在しています。天童木工のロゴデザインも年代によって変化しており、ロゴの形と刻印の方式で年代の見当をつけることができます(ただし詳細は専門家への確認を推奨します)。
6. コレクションとして持つ意味
高校生のとき、祖父からロレックスのオイスターパーペチュアルデイトをもらった。特別高価なものではなかったけれど、ずっと手放さなかった。売ろうと思ったことも、正直ある。でも手放せなかった。好きだったから。
バタフライスツールには、田舎育ちの僕には特別な記憶はありません。でも「用の美」という言葉には、ずっと惹かれてきました。使われることで美しくなる。使われてこそ意味がある。そういうものを手元に置きたい、という感覚です。
柳宗理が父・宗悦の民藝思想に反発しながら、ペリアンとの旅と、成形合板という近代技術への関心を通じて辿り着いた一脚。民藝でも純粋な工業デザインでもなく、その間にある何かです。日本の美意識が、世界の技術と出会ったときに生まれた形と言えるかもしれません。
コレクションとして持つ意味は、使い込むほどに合板の光沢が増し、手触りが変わっていくことを楽しむこと。そして、その椅子を作るために3年をかけた職人と技術者とデザイナーの協働を、座るたびに受け取ることにあります。
7. まとめ
バタフライスツールを観察するための問いは、このシリーズを通じて積み上げてきた視点の集約でもあります。
なぜこの形なのか(プルーヴェで学んだ問い)。誰が作ったか(ペリアンで学んだ問い)。どこから来たのか(ジャンヌレで学んだ問い)。そして今日加わるのは——自分の文化の中に、何が眠っているか、という問いです。
バタフライスツールは、MoMAに収蔵されるほどの椅子でありながら、国内のリサイクルショップやP2P市場では数万円台で見つかることもあります。その価格差を見つけることではなく、その椅子が持つ時間と物語を知ること。それが、コレクターとしての観察眼の正体です。
今日から観察すること:P2P市場でバタフライスツールを見るとき、まず「天童木工のロゴ・ラベル・刻印があるか」「素材はローズウッドかメープルか」「接合部の真鍮ステーとボルトナットの状態はどうか」を確認してください。次に、現行品か1970〜80年代のヴィンテージかを見極める。それだけで、同じ椅子が違う意味を持ちはじめます。













